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2008年10月

始終仲良く四十七歩

 わが家はこれまで大きな衝突は一切なく過ごして来た。それは、それは仲の良い家族でございました。というのではない。振り返れば、摩訶不思議な一家であった。

 全員が変人奇人家族なら、日本全国で軽く百組は超えそうだ。いや、千組?わが家の奇妙さは唯一無二。かどうか知る術はない。皆、平々凡々、職業といえば父は中小企業のサラリーマン、母は専業主婦、姉は小さな会社の事務員、その夫は中小企業のサラリーマン。かく申す私は元祖フリーター、時々ニート、今はそのなれの果て。

 何が奇妙かというと父母姉の誰も干渉しないどころか黙って家において置くだけでなく金銭的な援助を今に至るまでしてくれているのだ。親は一昨年相次いで亡くなったが、生前からその中心は四つ年上の姉であった。

 私が小学生の頃までは他愛ないことで喧嘩もしたが、中学生にもなると向こうは高校生、大人である。私が高校生になると既に働き始めていた姉は私の行きたいコンサートのチケットを買ってくれた。どの位の回数か覚えていない。かなりの数でしかもすべてS席であった。趣味を同じくする姉妹なら、一緒に行こうと上が下の分まで買うことはあるだろう。(その代わりB席ね)姉は行かないのだ。レコード1枚買った様子がない。

 私がアルバイトで働き出してからも服を買う金はないので姉は自分のものを買う時は必ず私の分まで買って来た。それも上に着るものだけでなく、下に着るものまで。ブラジャーなんぞ、何年か前100円ショップで200円也の高級品を2ヶ買った以外自分では買った覚えがない。もっと下に着るものも今春電話して来て買いに行くがいるかと訊いたくらいだ。ちょうどみなぼろけていたので「いる、いる!」勿論、金は取らない。既に年金生活者だというのに。未だ働いている私の給料より多いだろうけれど。

 それだけではない。一番大口の援助がかんぽやらなにやらの年金、保険の類、会社に勧誘が来た折、自分の分と合わせて申し込み、掛け金も払っていた。お蔭でその金が入り始めた。十代半ばから野垂れ死覚悟でやって来たのでそういうものに関心がなかった。4年後には国民年金の支払いを受ける資格が得られるらしいのでそれらと合わせ、爪に火を点す生活の始まり、始まり!

 (大きな声じゃ言えないので小さな声で言いますが、国民年金の掛け金も一括で父が払い込んでました。私の知らぬ間に。姉も黙って掛け続けておりました)

 普通の家ならまず父親が「出てけ!」次に姉が「いい加減に出て行ったら?」そして最後に結婚して一緒に暮らすようになった姉の夫が「出てってもらえ」

 ですよね!

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よろよろ四六歩

 初めの頃にもよろよろしたと思うが、今日は文字通り。朝、起きて顔を洗い、鏡を見ると腫れぼったい。特に眼の回りが。や!瞼が先祖返りしている!

 「生まれた時は一重だったのにいつの間にか二重になっちゃって」と母は言った。どうやら奥二重だったらしい。それが年を経るにつれどんどん離れていき、まずは右目が目頭からも離れ、何年かすると左目も離れ、左はよく見ると三重、というか昔の二重の跡が。という話も再登場か。

 年を取ると子供に戻るという。瞼も戻るだろうとの予感はある。食べ物の嗜好も子供の頃に返るそうだ。まずい物ばかりの子供時代を過ごして来て帰りたくないぞ。嗜好となると変わっていないとも言える。ミルク味、バター味が好き。乳製品大好き。砂糖菓子と。近頃、砂糖摂取過剰だったかも。そこで胃をやられた、と。それだけかも。なぁ~んだ。

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四五歩半

 この頃、歩みがのろいのは、ネタ涸れ!ではなくて、百歩ぐらいまではある、筈、タイトルの56合わせを捻り出すのにうんうん唸っているという「愚かね!」な行為に時間が掛かっているから、なのである。見かけはBABAでも中身はG-MANだもんで。

 それはさておき、今週は生まれて初めて眩暈なるものを経験、昨日はこれに吐き気のお伴。激しい頭痛が加われば、すわ、脳腫瘍。となるところだが、それはない、残念。でもないか。友人たちに本やDVDを形見にと配って歩く暇と力をお与え下さい。ガンのがいいよなぁ。

 根拠はないが、今年中に死ぬような気がしている。さっき、洗面台で顔を洗っていたら、又、眩暈が。どうも頭を下げると世の中が回るらしい。すると、上げれば、止まるのか。うん?

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死後もしつこく四五歩

 3頭目、最後の犬が逝って久しい。犬猫専用の墓地に葬られていたが、二年前相次いで亡くなった親たちと共に眠ることとなった。ペットは家族と考える人が増え、高嶺の花、いや高値の墓だった人畜兼用霊園も我々の手の届く所まで下りて来た。その代わり、墓地に辿り着くには急坂を上って行かねばならない。

 2頭目が未だ元気にしていた頃から「お前を作家の犬にしてやるからな」と言っていた。3頭目の時も然り。全員、鬼籍に入ってからも(動物は畜籍か?)墓参りの度、「お前たちを作家の犬にしてやるからな」と言い続けた。そうは言っても雑誌に載せられるような写真は殆んどない。そうだ、CG駆使して粉飾掲載だ!

 なぞと言うのを犬たちが聞いたら、人間というのはまことに愚かな生き物だと思いっきし軽蔑されるだろう。彼らは時々人間は全く度し難いという目で我々を見る。墓を作る、死後も思い続ける、それも又人類の膨大な愚行の一つ。向こうで犬たちと再会したら「お前たちを・・・・」

 「三銃士」も繰り返し読んだ本だが、書き落とした。「三十四歩」であったか。(アホ!)なんか、言った?

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児童書と四十四歩

 絵本の次は児童書というのか、子供向けの本を読み耽った。繰り返し読んだのが「岩窟王」「雨月物語」「里見八犬伝」すべて短縮版の翻訳版であるのは言うまでもない。「岩窟王」は投獄されたエドモン・ダンテスの隣りの牢屋に囚われていた老人がいろいろ工夫してインクまで自家製造しているのにワクワクした。

 「雨月物語」は円地文子訳、中でも「菊花のちぎり」、約束を果たす為、腹掻っ切って亡霊になってまで会いに来る心情はいかなるものか、不思議でならなかった。十代も半ばを過ぎると「ああ、そういうことだったのか」と得心した。それにしても露骨な題だ。

 3冊ともその後子供向けでないものを読んだ。「モンテクリスト伯」はいつか原書を読もうと思いつつ、未だ果たせない。どうやら、果たせぬままに終わりそうだ。ある数学者のいわく「読むのは僕一人なのに書くやつが多くて困る」

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始終散歩四十三歩

 食事と散歩、これが犬の二大関心事。小学生時代がわが生涯で一番お洒落な時期だったので犬の散歩に出かける前は必ず髪を梳かした。その様を見るとマリは大喜びして何度もジャンプするのだった。3,40センチくらいなものだったのだろうが、7,80センチも跳び上がっていたように思える。そんなことをするのはその犬だけだった。

 大往生を遂げ、一月ほどたった頃、隣の隣の人が「お宅で飼って戴けないでしょうか?」とスピッツらしき子犬を持って来た。一週間前、シェパードに喰いつかれ溝に落ちていたのを救い出したのだという。鼻の脇に傷跡があり、掌に乗るほどの小ささ。余り、可愛い顔つきでもなかったので姉は気に入らず、返してしまえと言ったが、わたしは犬ならなんでもよかったので「飼う!」と主張した。前任者の頭の一音を取り、マコと名づけた。ほぼ日本スピッツ、雄。

 彼こそ「みにくいアヒルの子」であった。半年もすると可愛いのなんの、いやでも人目を引く犬に成長した。ある家の前を通りかかった時、そこはちょうど台所で物音に見上げた犬と開いた窓から外を見やった人の目が合った。「まぁ、可愛い!」

 獣医さんの待合室で待っていると向かいに座っていた人たちがその美貌に目を止め、「なんて美男なんでしょ」「人間だったら、大変ね」姉の旦那が散歩をさせていた時は、自転車で通りかかった男の人から「いい目してんね!」と声が掛かったそうだ。

 引き取りたての頃、段ボールの箱に座布団を敷いた中で育てた為か、生涯段ボールハウスに執着した。行きつけの雑貨屋さんからクリネックスの段ボールの空いたのを貰い、それを横にすると座布団がぴたりと入る。バスタオルを敷けば寝床の出来上がり。先祖はサモエドだのジャーマンスピッツだの洋犬だが、立ち耳、立ち尾、日本犬と同じ特徴を備えた日本スピッツは一主人型、警戒心が強く、知らない人間には容易には慣れない。ベッドで一緒に寝たいのに断固拒否、「自宅」で一人寝。その為に冬、肺炎になってしまい、それからは湯たんぽを入れることにした。抱かれるのも嫌いで、それでも抱き上げるとすぐ下せという。それでは一人が好きかというとそうではなく、人に同じ部屋、空間にいてほしいのである。が、肌を接するのは嫌いなのだ。勝手な奴だ。そこがたまらん。( ^ω^)

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四二歩半

 一昨日、行われた中央競馬のGⅠレース、スプリンターズステークスは第42回であった。明日、行われる大井競馬の東京盃も第42回である。

 クロフネの仔だからスリープレスナイトとは日本馬には珍しく洒落た命名だ。珍しい毛色でアイドルホースになったユキチャンも父親はクロフネ。が、競走馬の世界では父親が同じでもきょうだいとは呼ばない。人気種牡馬なら1年に200頭前後の仔が誕生するからだ。母を同じくするものだけがきょうだいと呼ばれ、且つ父が同じであれば、全弟、全妹のように言う。horse

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世に流行るものと四二歩

 わが家に犬がやって来た。時の流行犬、日本スピッツ、雌、推定10歳。名前はマリ。

 わたしは猫がいても犬が欲しいっ!と思う生まれついての犬好き。対する父は動物嫌い、猫ならなんとか我慢するが「犬なんか飼ったら俺が出て行く」と言うくらいの大の犬嫌いとあっては諦めるしかなかった。が、天は我を見捨て給わなかった。この僥倖の立役者は父の姪、即ち、又してもわが従姉である。「一寸の間、預って」

 数週間ぐらいのことだろうと思っていたがそれが数ヶ月になり、とうとう一年。姉と結託し、もう返さないと頑張ろうと誓い合った。二人が強硬に「返さない」と言い張ったので渋々従姉も引き下がった。晴れてうちの犬になり、五年を過ごし、眠るように大往生。元々は従姉の友人、われら姉妹のピアノの先生の犬だった。と聞かされていたが、後にもう一人、最初の飼い主がいたと判明した。先生の元恋人で作曲家だったと記憶するが、とにかく音楽畑の人。一度犬に会いにやって来た。その時の喜びようといったらない。本当はその人と一緒にいたいのだろうと思うと可哀想になった。

 「全く勝手なんだから!」知った同士の間といえ自分たちの都合で次々犬を人手に渡す無責任な飼い主に母は憤慨した。どんなことがあっても犬とは添い遂げよ!とはいえ、勝手な人々のお蔭で犬が来たぁ~!

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好い青年と四一歩

 わが従姉はナイトクラブで歌っていた一時期、やくざの親分に囲われていたことがあった。一軒家に住まわせてもらい女中さんまでついていた。一度泊りがけで遊びに行ったことがある。親分さんにお会いしたのはその時一回だったと思うが運転手さんにはその前後何度かお会いした。

 はっきり覚えているのは二回。その人の運転で従姉と姉と三人で葉山へ行った。帰り道の渋滞のひどいことと言ったら。半ば嘲笑うような涼しい顔で脇を抜けて行った人にとうとう追いつけなかった。もう一回は山王かピアノの先生の近所か、従姉が用事をしている間、姉とわたしを乗せてそこらを回ってくれた。前方の地面が見えない急坂を下りたので忘れようにも忘れられない。感じでは45度 downwardright んなである。

 未だ二十代だったような気がする。或いは三十代初めか。子供に大人の年齢は分らない。実直そのもの、口数の少ない好青年であった。やくざ屋さんの運転手と聞いて思い浮かべるような種類の人とは余りに遠い。それでもダッシュボードにはチャカ、いやハジキが入っていたのだろうか?持っていそうな倶利伽羅紋紋のオアニイサンたちの姿は残念ながら(?)見かけなかった。

 あの寡黙に挫折を見る。今は。

         そして、あの車がベンツだったのね!

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