始終仲良く四十七歩
わが家はこれまで大きな衝突は一切なく過ごして来た。それは、それは仲の良い家族でございました。というのではない。振り返れば、摩訶不思議な一家であった。
全員が変人奇人家族なら、日本全国で軽く百組は超えそうだ。いや、千組?わが家の奇妙さは唯一無二。かどうか知る術はない。皆、平々凡々、職業といえば父は中小企業のサラリーマン、母は専業主婦、姉は小さな会社の事務員、その夫は中小企業のサラリーマン。かく申す私は元祖フリーター、時々ニート、今はそのなれの果て。
何が奇妙かというと父母姉の誰も干渉しないどころか黙って家において置くだけでなく金銭的な援助を今に至るまでしてくれているのだ。親は一昨年相次いで亡くなったが、生前からその中心は四つ年上の姉であった。
私が小学生の頃までは他愛ないことで喧嘩もしたが、中学生にもなると向こうは高校生、大人である。私が高校生になると既に働き始めていた姉は私の行きたいコンサートのチケットを買ってくれた。どの位の回数か覚えていない。かなりの数でしかもすべてS席であった。趣味を同じくする姉妹なら、一緒に行こうと上が下の分まで買うことはあるだろう。(その代わりB席ね)姉は行かないのだ。レコード1枚買った様子がない。
私がアルバイトで働き出してからも服を買う金はないので姉は自分のものを買う時は必ず私の分まで買って来た。それも上に着るものだけでなく、下に着るものまで。ブラジャーなんぞ、何年か前100円ショップで200円也の高級品を2ヶ買った以外自分では買った覚えがない。もっと下に着るものも今春電話して来て買いに行くがいるかと訊いたくらいだ。ちょうどみなぼろけていたので「いる、いる!」勿論、金は取らない。既に年金生活者だというのに。未だ働いている私の給料より多いだろうけれど。
それだけではない。一番大口の援助がかんぽやらなにやらの年金、保険の類、会社に勧誘が来た折、自分の分と合わせて申し込み、掛け金も払っていた。お蔭でその金が入り始めた。十代半ばから野垂れ死覚悟でやって来たのでそういうものに関心がなかった。4年後には国民年金の支払いを受ける資格が得られるらしいのでそれらと合わせ、爪に火を点す生活の始まり、始まり!
(大きな声じゃ言えないので小さな声で言いますが、国民年金の掛け金も一括で父が払い込んでました。私の知らぬ間に。姉も黙って掛け続けておりました)
普通の家ならまず父親が「出てけ!」次に姉が「いい加減に出て行ったら?」そして最後に結婚して一緒に暮らすようになった姉の夫が「出てってもらえ」
ですよね!
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