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2008年12月

いと懐かしきは、で五十七歩

 野球のオフシーズンの金曜夜、国営放送のラジオが「いとしのオールディーズ」なる番組を放送している。半分ぐらいは単に古い、少なくとも十年以上たっているというだけでオールディーズではない。50年代、60年代の(アメリカの)ポピュラーソング及びロックンロール、これがその定義だからだ。たまにそのストライクゾーンにズバズバ投げ込んで来る人もいる。あ、毎回ゲストが選曲します。合間に来し方を語る、と。

 耳たこの曲を聞いてもそう懐かしいとは思わない。「ダイアナ」「恋の片道切符」「悲しき街角」「監獄ロック」等々。不思議と懐かしさを誘われるのはそれらより聞く折の少なかったエヴァリー・ブラザースやバディ・ホリーの曲なのだ。これまで聞いた限りでは彼らの曲を選んだ人は一人もいない。

 日本のラジオ局でも掛けていたと思うが、おそらく中学になって聞き始めた駐留軍放送で盛んに流していたのだと思う。79年までは一日として聞かぬ日はなかったから、50~70年代にアメリカで流行った曲で知らないものは一つもないと言ってもいい。

 80年代になるとディスコ・ブーム、次第に聞かぬ日が増えてゆき、90年代となるとどうだったかも覚えていない。2000年代、たま~に聞くと何故かカントリーばかり、いつダイアルを合わせてもそうなのだから変である。ハードロックが好きでカントリーが流れて来ると怒り狂う「ヒドゥン」の悪玉エイリアンのような気持ちになる。「レトロ・カフェ」なる60、70年代の曲専門の番組に当たれば幸い。

 カントリーがすべてダメというわけでもない。事実ジョニー・キャッシュ、ジョン・アンダソンのレコードやCDを持ってるし、ポップスからカントリーに転じたエクサイルなどは大好きである。わが国にも同じ名のグループがあるらしい。以前、新聞のTV欄にドリフターズの名を見て盛大に?だったことがある。何故、ドリフターズが今頃日本のテレビに?

 わたしにとってドリフターズはベン・E・キングのいた、あのグループなのだ。今でも猶。彼らも、また、いと懐かし。

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雷ゴロゴロで五六歩

 わが父は雷親父であった。明治生まれのすぐ雷を落とす頑固親父、ではなく、雷大好き親父なのだった。気分爽快になると言って雷大嫌い母の心胆を寒からしめた。

 娘のわたしは夕立大好き人である。青天に暗雲が立ち込め、夜の如し、稲妻が縦横無尽に空を切り裂き、真っ白な雨が地を叩く。こうした理想の夕立には滅多に出会えない。夕立に限らず大雨を見るのが好きなので一度尾鷲の豪雨を眺めてみたいものだと思い続けている。

 オペラ同様、雷好きの遺伝子もあるのかもしれない。従姉が好きだったかどうかは不明。少なくとも嫌いではなかっただろう。

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少し急ごうで五十五歩

 小、中と腰の辺りまで伸ばした髪を母が毎日三つ編みにしてくれた。いや、編んでもらったのは小学生までだったと思う。長い髪は母の好みだったのだろう。一度か二度おかっぱにしたことはあった。切る時は床屋であった。床屋は男の人の行く所だと思っていたので美容院へ行きたかった。

 長じて美容院へ行ったのは記憶にある限り二度だけである。逆に床屋を愛用した。わけではない。一番手間いらず、金いらずの髪型にしているからだ。唯、伸ばしっぱなし。伸びすぎたら自分で切る。気紛れにショートカットにしてみようかという気になって二度専門家を訪ねたが、その後はそれも自分でやった。冬場乾かすのと夏場上げるのが面倒だが、なんと言っても一番安上がりでまことビンボー人向きである。

 しかし、ドライヤーなるものが現れたのはケッコー大人になってからと記憶する。子供の頃、一体どうやって乾かしていたのだろう?全く思い出せない。冬は石油ストーブ?もっと前は?江戸時代の人はどうしていたのだろう?毎日洗わなかったとしても、火鉢では日が暮れてしまうどころか夜が明けてしまう。

 他人の髪も長いのが好きで、今の若い女優さんたちがすっと長くしているのはよい眺めだ。男の子の髪も長いのが好きだったから、ビートルズが登場した時はやったァであった。あの頃は長髪と言ったが、今はロンゲと言うらしい。女の長い髪はロングヘア、または単に長い髪である。絶対的な長さが違うとはいえ、時代、性によって表す言葉を分けるのがなんとも趣き深いではないか。

 馬の尾も長いのがいい。大体、尾の貧相なのに走る馬はいない。先週の朝日杯ではツルマルジャパンの並の馬の倍はあろうかと思える程ふさふさとした尾に目を奪われた。16頭中の14着だったから、尾が立派なら走るというわけではない。いや、2歳戦とはいえGⅠなのだから出走するだけでも相当走る馬と言えます。めでたく競走馬になり新馬戦に出て来るだけでも大したものなのです。一つでも勝てば大いばりです。ツルマルくんは二つ勝ってますから、大いばり。

 今は見かけないが、ポニーテイルという髪型も「出て来た」ものだった。1950年代にアメリカからやって来た。あれはゴム紐がなければできない。誰がどうして思いついたのか、調べる方法が思いつかない。ネットでsearch

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歩みは亀の如しで五十四歩

 子供の頃、家にいたのは猫と金魚。そして時々chick。縁日で買って来ては殺していた。親鳥代わりに保温しなければならないのにそのままにしておいたせいだろう。すぐに死んでしまう。母がもう買わないと言うのをせがんでせがんで買って貰った最後のchickはわたしの後をついて回り、可愛いことこの上なかった。その子が儚い命を終えると流石に諦めた。

 金魚掬いもよくやったが、飼っていたのはその釣果というより、その頃の夏の風物詩金魚売りから買っていたように思う。最後の金魚は三匹一緒に買ったが、二匹がもう一匹を絶えず追い回すので別々に飼うことにした。後に一緒にしても今度は大丈夫と思ったのか、同じ容器に入れたら、留守の間に弾き飛ばされて床の上で絶命していた。金魚の世界にもイジメがあるのか、三匹住むには住宅が狭過ぎたのか。

 突然、思い出したが、亀もいた。昔は町中でもよく売っていたような気がする。庭でのそのそしたり、屋内のそこら辺で好きにしていたように思うのだが、どうなったのか記憶にない。多分、行方をくらましたのだろうと思う。毛のもの、羽のものに比べると甲のものは守りが固く情が移りにくい。で、あっさり忘却の彼方。尤も新聞の投稿欄に高齢ゆえ自分が死んだら、面倒を看る人がいなくて不憫と長年飼っていた二匹の亀を近くの池に放して帰ろうとしたら二匹が猛然と後を追って来たとあったから、亀も去らないもの、なつくものらしい。

 あの頃は文鳥、伝書鳩を飼うのが流行っていた。ローラー・カナリヤは姿も歌声も華やいでいてピアノのあるようなお宅でないと似合わない高級な鳥であった。今はペットの投稿写真を見てもインコの類が圧倒的でカナリヤは滅多に見ない。おそらく50年ぐらい前までは、江戸期からの伝統を引きずっていて鳥は声を楽しむ為の「籠の鳥」でしかなかったのが、次第に毛のもの同様ペットとして密につきあいたいと望む向きが強くなったせいだろう。とはいえ、密着はほどほどに。

 

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それは誤算で五三歩

 今時の中学では流行らないと思うのだが、多分中一の時、世界地図を広げ、知られざる地名を順番に指定して探しっこする遊びに皆が夢中になった。未地との遭遇と呼んでいた。というのはウソである。競ってできるだけ小さく書いてある場所を選ぶので、ある時裏をかいて字の間隔の広い地域名を言ってみたら狙い違わず誰もみつけられず、ニンマリであった。

 しかし、こうした裏技は一回しか通用しない。というより、皆が真似し出したのが誤算であった。珍名探しは今でも盛んに行われていそうだが、当時の一番人気はスケベニンゲンでエロマンガは登場していなかった。

 ある時、黒板に謎の英文が書かれていた。To Be To Be Ten Made To Be.今は廃れたであろう。小学校の時に流行ったクイズにはこんなのもあった。「ソプラノ歌手が歌い終わった途端に死んだ。何故か?」

 

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殊に良く覚えているのは、で五十二歩

 小学校時代の一番の思い出は彫り物だらけの机と椅子が一斉にガタガタと鳴る瞬間だ。その1/3秒前には「姿勢を正しく!」という教師の鋭い一喝が響いていた。

 そのせいではないだろうが、街を歩いていても電車に乗っていてもわが同胞たちの姿勢の悪さが目について仕方がない。若い女の脚は長くなっても曲がっている!膝から下が∧になっているのを目撃した時はまさにeyesign03であった。もし、そのような曲がり脚だったら、ロングスカートにすればよいものをと老婆心は思う。が、そのお嬢さんはまるでそのことに気づいてないかのように細身のパンツで堂々たるものであった。

 ラジオで石川県のどこかの寺の住職なる人が「ヒューストン空港で出発待ちをしていた時、中国人や韓国人、アジア人がいっぱいいましたが、日本人はすぐ分る。何故か、分りますか?」とインタヴュアのアナウンサーに問いかけた。代わりにBABAが即答した。「姿勢が悪くて歩き方がひどい」

 二番目はやはりまずい給食か。中でも息を止めてぇ、そのままぁ、一気飲みした脱脂粉乳。その後「あれは進駐軍の豚の餌だってさ」と聞いて屈辱感に打ちのめされた。未だに立ち直っていない。

 大山が読めなかった若い方々(アナウンサーと気象予報士だったか)がいたが、今の小学校では地理を教えていないのか?狸穴ならともかく、国立公園ですゾ。

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急いで五十一歩

 開巻一番、これは凄いsign01これは凄いsign03と見ている間中、言い続けた(声には出さず、当然ながら)「セーラー服と機関銃」慌てて相米慎二の第一作「翔んだカップル」を拾いに走った。高田馬場の三番館。立ち見。

 薬師丸ひろ子の歌う「夢の途中」は今聞いてもいい。その詞を書いたのが中学の同級生と分った時は驚いた。咄嗟に浮かんだのが色が黒めで丸顔でかなり可愛いおさげの少女であった。その後、タダ冊子かなにかのインタヴュー記事で見た人にその面影は全くない。別の人と近藤さんしたか、それとも年月の力を借りれば、人間はここまで変われるのだ、の典型なのか、しかと分りません。鹿戸師、ジャパンカップ優勝おめでとうございます。horse府中は一日sunfujiも見えました。アルゼンチン共和国杯はバッチリでしたが、スクリーンヒーローならブルース・リーの①⑯しか持ってませんでした。1600万下→GⅡ→GⅠsign03有馬はアタマから狙うのでお馬さんに良く言っといて下さい。

 驚いたのはそれだけではない。薬師丸糞する、じゃない、扮する、因みに競馬界では馬の糞をボロと呼びます、男馬がチン列するのを馬っ気を出す、牝馬の発情をフケ、調教師をテキ、こういうことは学校じゃ教えてくんない、これは志ん生の名文句、息子さんの通った中学での話なんです、これは、その、なんですな、なんの話だっけ?そう、ヒロインの名、ほんとはヘロインと発音するのだが、いろいろ事情があったんでしょ、その名前が星泉。これ又同級生の名そのまんま。但し男子生徒だった。

 行く末は歌謡曲の作曲家になりたいと言っていた。なれたのだろうか?なってくれていたら、いいな。現代人にとって最高の幸せとは「好きなことで飯が喰える」こと、なのだから。      

                オイラはbreadでもいいぜ。

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