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2009年1月

ムツの卵と六五歩

 姉の勤務先は御茶ノ水にあった。昼ともなると淡路町、小川町、神保町など神田一帯に出没、評判の定食屋、名立たる蕎麦屋、洋食屋を経巡り、老舗の和菓子屋、知る人ぞ知るケーキ屋などで頻々と土産を買って来た。この界隈なら「アド街ック天国」に出られます。

 中でも忘れ難いのはすっかり懇意になった魚屋で手に入れる魚介類、作で買う鮪、フライにして2本食べるとそれだけで満腹になる程の海老、うまいのはうまい生雲丹、牡蠣、初めて食べたムツの卵、等々。「ムツが絹なら、たらこは木綿よ」とは主の弁。

 「今日はお金がないから、素通りしようとしたらみつかっちゃって、ちょっと、ちょっと、鮪のいいの、入ったからさ、見るだけでも」と呼び込まれることもあったらしい。五人家族だから結構いいお得意だったのかもしれない。主が亡くなると継ぐ人もなく、魚屋は廃業、奥さんが定食屋を始めたという。うまい魚とも縁が切れた。

 ほかにも今で言うデパ地下でなんやかや買って来るのである時母がポツリと言った。「あの子、一体幾ら貰っているのかしら?」家族経営のような小さな会社だったのでひょっとして会社の金をドガチャカドガチャカ、或いは退社後にあやしげなサイドビジネスを展開?と親らしい心配をしたものと見える。

 うちの姉に限って、絶対にないっsign03sign03sign03sign03sign03

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母方は無趣味血統で、六四歩

 わが父はその芸術志向の血を母方から受け継いだ。既に書いたように母の長兄の息子が詩人、時々映画評論家で、自身の姉の娘は当初の目標は達成せざるも一応音楽で身を立てた。父は早い内に絵描きになる志を捨て生涯を勤め人として過ごしたが、余暇は美術展巡りと書、墨絵に費やした。同じ程好きなのは本を読むこと。娘のわたしは美術、建築など動かぬものには余り関心が向かないが、本好きはそのまま受け継いだ。芸術、芸能に魅かれる資質がその血筋に脈々と流れ、どの領域により傾くかが各人で異なるだけだ。見かけは母そっくりと言われたが、手先の不器用さを除けば、中身は父方のみで出来上がっているようなものだ。

 対して、見かけも性格も母の姉によく似たわが姉は母方の血をそっくり受け継いだ。芸術、芸能への志向どころか嗜好も皆無。母も同様、その姉妹も同様、姉の息子(母の甥)二人も長男の方が関心なくはない程度でそう強くはなさそうだ。わが母とその姉は専業主婦だが家事が好きなわけでなくむしろ逆。編み物だの刺繍だのの手仕事趣味もなし。母の妹は洋裁を仕事にしていたが、徹夜ができなくなって外で働き出すと趣味で作ることもなかったようだ。わが姉はやれば手仕事も料理もうまいのだが、好きではないらしい。テレビすら自分からは見ない。母もそう見る方ではなかった。

 主婦という職業は年中無休24時間営業定年なしとはいえ、趣味が全くなくて生きていけるのは凄い。三食昼寝つき?だとしたら、もっと必要だろう。確かにない方が心は安らかだ。時間と金は限られている。若い頃から自分が三人欲しいと思っていたわたしの目下の悩みは本を読む時間がないことだ。

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無味乾燥な授業と六三歩

 授業はさっぱり面白くなくてろくに聞きもせず、家でも勉強はしなかった。暇さえあれば、小説を書いていた。一年の時、テストを白紙で出したら、校長の呼び出しを受けた。その後も灰白紙程度の解答率だったが、再喚問はなし。こりゃどもならんと匙を投げたようだ。栄えある学び舎始まって以来の最低の成績保持者であり、あり続けているだろう。

 本来は落第、留年にすべきところ「めんどくさい」のでどんどん上げて出してしまった、と。一人ぐらいどうってことない。黙ってようなぁ。卒業後、何年かしてそれでは余りに申し訳ないと一番さぼった学科、数学と物理を自分で勉強し直した。在学時にちょっとはやったから「直した」は嘘偽りではありません!自分で勉強するとどうしてこうも面白いのか?逆に言うと学校の授業はなぜああもつまらないのか?

 その答えはファラデーの「ロウソクの科学」にあった。「これから皆さんにロウソクのお話をいたそうと思います。この題目はもうだいぶ前に選んだものですから、勝手にこの演題に決めていいのなら私は毎年々々喜んでロウソクのお話をするかもしれません」(岩波文庫/矢島祐利訳より)この本が何度読んでも面白いのはファラデー自身が楽しんでいるからだ。

 授業が面白くないのは教師自身が面白いと思っていないから。気が抜けてしまいましたか?久々に「ロウソクの科学」を読もう。book

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唯一無二の人物と六二歩

 高校は第n学区きっての進学校、中にはあれでよく入れたと実に不思議な方も約一名いらしたが、大体はいわゆる頭のいい生徒たちだった。と、後になって気がついた。それが当たり前だとなんとも思わない。小中高と同じ学校だったが、一度も同じクラスにならず、学級委員会と言ったか、そういう所で顔は合わせていたものの、特に言葉を交わしたことのなかった男子と高校でクラブが同じになり、友達づきあいをするようになった。某国立大学→わが国で一番名の通った広告代理店→テレビのプロデューサーの作った新会社にいた頃と思ったがラジオの30分番組を持った。「聞いてよ」と言われてスイッチ・オン、「東京弁だ!」と大発見したような気になったことがある。実人生では、少なくとも若い頃は周りは殆んど東京弁だから意識することがない。ラジオとなるとその出現率が 1/100位に急降下するので目立って来るというのか耳立って来るのだった。

 本題に入る。例外的に一人、在学中どころではない、のっけから「この人は切れる!」と思った人物がいた。たまたま、席が隣りだった。三年間お隣り人で帰り道も途中まで一緒だった。おまけにクラブも一緒。話をする機会を多く持つことができた。単に頭がいいというのではない。懐が深い。某私立大学法科→司法試験現役合格→某弁護士事務所→独立。若い頃はマスコミに露出することも多く、その先の経歴をわたしはこう予測した。時々TV出演しながら弁護士活動→本を出版(40代)→政界へ(50代)→内閣総理大臣。にっぽんの夜明けは近い!fuji  sun cherryblossom notes spa bottle

 しかし、じきに弁護士活動に専念。いつまでたっても本を出す様子はなく、まして政界へ打って出る気配はケの字のチョン程もなし。残念。ヒラリー・クリントン大統領も実現しなかったが、したとして二人の女子日米首脳会談は壮観だったろう。日中だと筆が登場するようだが、この頭脳抜群、度胸満点の士は弁護士だから口八丁は当然として手も八丁、達筆の人でもあった。

 三年間お隣り人と言ったようにクラス替え席替えなし。お蔭で後ろの方には最後まで名前と顔の一致しない男子生徒が二、三人いた。何故、クラス替えがないのかに話が及んだ時、A嬢(そう呼んでおく)は「めんどくさいんじゃないの?」と言った。確かに各人が勝手に勉強し、入学時はほぼ全員があの大学を目指す学校ではわざわざクラス替えをする必要はない。昨年、たまたま旧制中学時代に学んだ人の文を目にしたので「なに、なに」と斜めでなしに読んで行くと五年間原則としてクラス替えなしとあった。その理由には触れていなかったが、旧制時代からの伝統であったとは。そもそもの始まりは、やはりめんどくさかったのだろう。ほかに思い浮かばないから!

 毎年四月になるとクラス替えがあったらなぁとしみじみ思う人物が一人だけいた。わが担任である。

 

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Muy bonita の級友と六一歩

 Muyは言い過ぎかもしれないが、中二の時に一番親しかった級友はなかなかbonita、且つ造りがその姓同様どこにでもある種類ではないので鮮明に覚えている。半世紀近い歳月が全力を振り絞って変容を試みたとしてもその面影を見出すのは容易であろう。

 宝塚歌劇、ジジ・ジャンメールのファンだった。その後も変わりなく愛し続けたかどうかは分らない。二度一緒に映画を見た。卒業後はつきあいが途絶えたが、何年たっても記憶から去らない人だ。と言って、今頃どうしているだろうと思い巡らしたり、できれば会いたいと望むわけではない。思い出すだけである。

 

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六十路を迎えて猶、で六十歩目

 一番つきあいの古い友人は中三の時の級友である。きっかけはたまたま席が近かった。その後も続いたのはたまたま友人宅がわが高校の真ん前にあった。私が書いた作品と呼べるものはすべて読んでくれた唯一の読者である。

 本人はたまたま私が魅かれている俳人の弟子が宗匠の句会に属して苦吟だか句吟に励んでいるのだが、幾らせっついても作品を披露しようとしない。これは大いにあやしい。その才能に私が嫉妬して「おのれ!」と刃傷沙汰に及ぶのを恐れてのことに違いない。

 実に楽しい手紙をよこす。母が元気だった頃はしばしば傑作文(ふみ)を読ませたものだ。「ほんとに面白いわねぇ」と笑っていた。FAX電話になってからは急ぎの用件はすべてFAX。ある時、一度で話が通じず、三度目にやっと互いに諒解となったので「電話した方が早かったか」と呟いたら、側にいた姉が「あんたたち、面白いわねぇ」と言った。

 電子メールは便箋、封筒、切手いらず、何よりポストまで行かずにすむのがGG,BABA向きで今後は年寄りこそメールの時代になる。唯一の欠点は急ぎの用件には向かないこと。毎日、マメにチェックする人ばかりとは限らない。ある時その日の内に読んでほしかったので「メールを送ったとFAXする“”」とFAXしたら、その場を離れる間も与えずに返信が出て来たので一体なんと書いてあるのかeyeで見ると「どれどれ!」とあった。

 ね、楽しい人でしょ?二つのたまたまに感謝。

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極悪人め!で五九歩

 わが小学生時代の六年間は東映の勃興期、隆盛期、衰退期とぴったり一致する。「笛吹童子」で東千代之介に、続いて「百面童子」で伏見扇太郎に一目惚れ、この両美剣士主演作を中心に東映のチャンバラ映画を見まくった。

 勧善懲悪の娯楽時代劇に君臨するのは悪役の皆さん、バテレン妖術使いの吉田義夫、悪代官進藤英太郎、悪家老山形勲が東映城の三傑。稀にいい役で出て来てもどこかで裏切るのではないかとドキドキしてしまう。それくらい悪悪としていたり憎憎し気だったりの方々であった。山形勲や加賀邦夫は端正な顔立ちであっても悪役をやっていてなんの疑問も感じなかったが、一人だけいい男なのに何故と不思議でならなかったのが三条雅也である。いい男はいい役をやるものなのだ!違うか?子供には分らない大人の世界?

 台詞のある役では東映の最多出演記録保持者ではないかとにらんでいる楠本健二も「笛吹童子」では二枚目然としていた。その後は悪役専門、密かに暗殺隊長と呼んでいる。東映がやくざ映画に転じてからも似たような役どころで真面目に精勤していたから、名前は知らなくても顔は知っている人も多いだろう。

 ワイズ出版が東映本を次々出してくれて欣喜雀躍、品川隆二まで登場とは!東映に移籍して来て一目惚れ。こんないい男の石松は初めて見た、のであった。

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言葉は軽業師で、五十八歩

     taurus あけましておめでとうございます wine

 と、思っていなくても、言葉では何とでも言える。あることないこと、ないことないこと、ありえないことも。日頃は意味を持つと考えられているが、消してしまうことも朝飯前。「Senseにnon!」を明確に意図して書かれたルイス・キャロルの書物を引くまでもない。東京人の好きな言葉遊び、たとえば「畏れ入谷の鬼子母神」でも言葉は意味を失う。Curiouser and curiouser!掟破りも得意技。

 言葉の最大の強みは物でないことだ。何かに書かれたものは時を経るにつれ解読しにくくなるとしてもされる限りそれとして存在し続ける。美術品や映像作品は時による劣化が作品そのものの価値に反映する。墨で流麗に書かれた巻物で読むのと今の印刷された本で読むのと読み手の気分が作品評価に全く影響を与えないとは言わないが、文章そのものは同じであり、文学であれば芸術性に変わりはない。

 言葉は元素、即ち、金。沈黙はダイヤ。

diamond ダイヤモンドの正体は炭素だが、燃えないと聞いた。どなたかダイヤの指輪でもネックレスでも暖炉の火に投じて証明してみせてくれませんか?

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