組に一人で、九三歩
大学へ進学しない異分子が組に一人海豚犬かの高校に身を置くとその気ゼロどころかマイナス813でもどこか一つくらいは受験せにぁならんのが難儀であった。今のように映画の専門学校があれば、行く気充分で試験を受けただろうが、唯一あった某大学の映画科はどうも気が乗らず、次善の策として別の大学の演劇部を選び、予定通り行かなくていいことになった。
大樹小説が出版され、版を重ね、主要な人物を演じられる役者が現れたら、自ら映画も撮るつもりでいたが、その下準備として映画学校を望んだわけではない。すべては小説の為。主人公が映画を撮る人でもあったので技術を学び、実践を体験してみたかったのだ。批評をするにも技術の知識は不可欠だ。小説がダメなら映画批評があるさと計算したのではない。そちらから攻めて本丸攻略を考えないではなかったが、フツーの映画批評家になるには映画会社の試写室で見なければならない。それがまず耐え難い。何より小説同様需要がなかっただろう。男気溢るる文章なら「間に合ってます」今でも男たちは女っ気滴るテーマ、文体にはそれだけで高得点を与える。自分たちの聖域が脅かされる気遣いがないからだ。
「腐女子彼女」を見る限り、似て非なるものと思う。唯、友人にやおい系の意味を教えてもらった時ははたと膝を打った。「やまなし、おちなし、いみなし」まさにわが小説!それが400字詰め原稿用紙で1万5千から2万枚では売れるわけがない。今ならブログで連載するところだ。十人の愛読者を獲得する自信はある![]()
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東京芸術大学大学院映像研究科の修了生たちの活躍を伝える記事の中で講師の黒沢清監督が「気をつけるべきなのは、映画には作り手の生き方や世界観が出るということ。映画に関して知っていても、社会を知らなくて恥ずかしい作品を作ってしまわないために日々鍛えておくよう言ってます」と語っている。その通り。極論を言えば、監督は映画なんぞ知らなくていいのである。「人生の経験値」(穂村弘)の高いもん勝ちである。映像のセンスについては生まれつきだから、これも学ぶことはできない。書を捨てなくていいから、街へ野へ出てなんでも見てやろう、やって野郎(女郎も含む。但しジョロウではない)たれ。
役者に関しても演技の勉強などしなくていい。「心は舞台、財布はテレビ」が相場と決まっているのだから、目指した時点から習い事はたとえ初歩だけでも片っ端から身につけておくべし。スキー、スケート、ピアノ、ヴァイオリン、お茶にお花に日本舞踊、箏三味線、太鼓に鼓、自転車、自動車、オートバイ、水泳、空手、柔道、テコンドウ、剣道、弓、槍、薙刀、手裏剣、吹き矢はいいとして、乗馬と英語は必須。いつ何時時代劇や西部劇の依頼が来るやもしれぬ。今や中国、香港、台湾、韓国、タイなどの映画に日本の俳優が出るのは日常茶飯、その逆も然り。いやでも応でも意思の伝達は英語になるからだ。「目指せ、ハリウッド」ではない!(やたらハリウッドと崇めるのにろくなのはいない。ブツクサ)
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